二代の情誼を満載し、本土の芸術を大切にする

91号陶生活

神農街を歩いていると、店の看板がほとんど見当たりません。神農街のお店は暗黙の了解があり、看板があっても大きくなく、昔ながらの雰囲気を保つようにしています。店の入り口の左側には木の板が釘で付けられており、板には陶製の縁起の良い赤い柿が二つとカタツムリが一匹あります。店名は細いペンで書かれ、店名は「陶・生活」です。カタツムリと生活の組み合わせからオーナーはゆっくりした足どりで、気楽な生活哲学を求めているだろうと察しがつきます。看板の上には、木質の表札91号があり、異なる木の質感にベージュ色の壁を組み合わせ、素朴な美を際立たせています。陶生活で売られている陶器作品の拘りはその内面的な精神面にあることが伺えます。看板の隣には茶色の木枠の扉があって、上の換気窓の緑の横木には初期の水道局の番号札、台湾電気の表札番号などのアルミの札に、まだらに色落ちした91号の表札が取り付けられており、まるで小さな展示場のようで、電気や水を使うのにアルミの番号プレートをつける必要があった時代にタイムスリップした感じでした。さらに上を見ると、家主の名前が書かれた木製の表札が見えます。フルネームは陳永鏜で、古民家の二代目の家主です。

陳家のこの家屋は、100年以上前の祖父の代に建てられ、当時最も美しい家であることを誇りに思っています。神農街が選ばれた理由として、当時は多くの会社がここにあって、非常に繁栄していた街だったからです。ここに住めるのは皆経済条件のいい家だったのです。二代目の陳永鏜さんになると、金細工の仕事をしていたが、工房はここではなかったので、91号の家は純粋な住居でした。陳さんは成功大学を卒業したエリート学生であり、金細工加工の関係で後に中庭に工房を増築したのは、当時、非常に先進的だったと言えます。

陶生活のオーナーである王敏栄さん神農街に店を構える原因は、主に二代にわたる友情です。神農街では、番号が奇数の家屋はすべて二進一天井(注:一戸の家屋の構造が二棟あり、前の棟の一進と後ろの棟の二進との間に中庭があり、井戸がある)で、二進後ろの棟の裏口は北勢港であり、91号の陳家老宅の家屋も例外でなく、後ろが航路で、中庭に井戸があります。陳家はその後、後ろの棟を部分的にRC建築に改築されました。神農街に臨む前の棟は相変わらず百年前の姿を維持していたが、空いていたため、オーナー王民栄さんの二人のおばさんに貸し出されました。叔母さんたちは陳家とは旧知の友人でここに住むことによって陳家の世話をして家を整理する意味もあったのです。当時、前の棟は前と後ろに分けられ、後ろは子供部屋で、前は工房兼部屋だったため、陶生活に入ると、店内の床の前と後のデザインが異なっていることに気づかれます。道路に面しているのはレンガ色の八角形のタイルで、後半分のはテラゾーです。そのように二人の叔母の仕事の性質も異なっていました。一人は司法書士であり、もう一人はデザインを専門とする美術用品を扱う会社でした。美術用品を扱う会社の叔母が先にここに住んでいましたが、ちょうど隣の89号の家屋が新築なのに住人がいませんでした。そこで叔父さんの説得により、家は叔父さんに売却されたので、美術用品をお使う叔父一家は89号に引っ越したのです。もう一人の司法書士の叔母さんは引き続き住んでいましたが、子供が成長し、スペースが足りなくなったため、その叔母さんも引っ越し、家屋は再び空きとなりました。


建築業二十数年従事していた王敏栄さんは、その後四川省で陶磁器の開発と研究をしていました。7、8年前、91号の家屋が改築されて空になった時も、陳家はなじみのない人に借りるのが嫌でしたが、当時、王さんは台湾の陶芸はすでに水準以上だと思っていました。よく考えた末、神農街にやって来て伯母さんたちに引き続きこの古民家を借り、子供の頃に神農街で遊び回っていた記憶にたどり着いたのです。「陶生活」という民芸品店を開き、現在の陳家三代目の家を引き続き管理するほか、台湾の陶芸作品をも広めようと考えています。王さんは、陶生活で陶芸品の販売以外にも、台湾の若い陶芸家の作品がめったに注目されていないことに気づきました。そこで、店で主に販売されているのはコレクターレベルの台湾本土の作品です。もちろん柿のような小物もあります。ここを訪れた観光客がお土産として気軽に持って帰られるように、一階に多く置いてあります。

2012年に王敏栄さんは110号の鳳凰特区の芸術工房のアーチスト廖小樹さんと協力して、神農街と古都台南の窓格子の模様をイメージして、「鉄の花が咲いた」という作品を作りました。「鉄の花が咲いた」は海安路にあり、青写真青く光る設計図「藍晒圖」という作品の次に人気で愛されている作品です。「藍晒圖」の壁は2014年に台南市政府が海安街のエコミュージアムを放棄したため、展示されていた壁が家主に回収されて転売された後、複数の屋台に分けられました。王さんはその年の作品が取り壊されたことに関しては、平常心を保っており、創作の公共芸術はもともと長く保留されるものではなく、よく変えられるのが常だと思っています。その頃は若者や、創作チームを励まして、壁を借りて彼らの作品を展示したものです。王さんの若者を励ます想いは、彼が陶生活を始めたように、台湾の優秀な陶芸家の作品を広めたい一心と同じなのです。この台湾芸術を守る温かい心は、この91号の古民家のように陳家と王家の二世代の素晴らしい友情で満ちており、互いの信頼で代々守られています。