
西佛国
北勢街で五代続いた仏像芸術
神農街を歩いてると、両側に連なる銭紋の扉に目を奪われます。上を見れば、大きなが三文字「西佛國」書かれています。よく聞くと、コッコッコッの音をたてて、職人の蔡天民さんは息子と仏像の仕上げに専念しており、蔡さんの熟練した彫刻刀裁きからは、すでに88歳になられたとは思えません。蔡さんになぜ工房に「西佛國」と名付けたのかと聞くと、彼はいたずらっぽく「それは「佛西國」と逆にして区別するためだよ」と。実は蔡さんの師匠である曾祖父の蔡義培の代に泉州南門衛城から台南にやって来て、彼の義理の兄から仏像の彫り方を学びました。曾祖父は六人の子供の中で二番目の祖父蔡心は仏像を彫るのが好きでしたが、やんちゃな子供だった蔡心は集中できず、よく彫っている途中に外へぶらぶら遊んでから家に戻っていました。曾祖父は仏像を彫るには一意専心に精進しなければならないと思っていたので、蔡心に自分の「佛西國」を継がせないことにしたが、祖父の蔡心はどうしても仏像を彫りたく、元の「佛西國」を逆にして、「西佛國」にしたのです。それには伝承の意味もあって、自立して一派を立てる意味も含んでいたのです。それから「西佛國」は蔡天民の父(蔡南山)が継ぐことになり、今の四代目は息子の蔡天民さんが継ぐことになりました。五代目の蔡友誠さんは家族の中の末っ子であると同時に、唯一の男なので自然に家業を継ぐことになりました。蔡天民さんの曾祖父の蔡義培さんの世代では、もともと家族には沢山の人が仏像を彫っていましたが、家業は大きくならず、今では逆に「西佛國」の五代目しか残ってないとということから、今の蔡天民さんと彼の息子さんは国宝に等しいです。

▲西佛国で仏像彫刻を主とした日常の様子


▲西佛国代々の跡継ぎ
最初の「西佛國」は台南に来てすぐ神農街に根を下ろしたわけではありません。蔡天民さんは台南の中山路に生まれましたが、政府が道路を広げるため、彼の家を取り壊さなければならなかったので、民權路にあった「宏達予備校」の隣に引っ越しました。彼は16、17歳の時に神農街に来てから、今では約70年になります。家屋の番号が奇数なので、西佛国の家の構造も二進一落(アーチンイーロ:前の棟の一進が神農街に臨み、その後ろに中庭の一落には井戸があり、中庭の後ろの二棟目の家屋の二進の裏口が北勢港の波止場となっている)です。家屋を修繕したため、現在では二階も住むこともできると、その約二百年になる家を自慢していました。
今家神農街に面している一進の一階は西佛國の工房であり、後ろの一落の中庭には井戸がありました。蔡さんは先人たちの知恵の素晴らしさに驚いています。神農街の家屋は今のマンションにある浴室のように設計しされており、例えば、井戸が家の右側にあれば、隣の家の井戸は左側にあるというように、つまり、二つの家で一つの井戸を共用するという意味で、井戸も共用する壁で半円となっています。西佛国の二棟目の家屋二進の後ろには北勢港の遺跡が残っており、かつてそこは深く大きな溝がありました。その溝は蔡天民さんが10頃は約3mありましたが、今では約18㎝になっていました。その溝は蔡さんにとって子供の頃の思い出であり、まだ子供だった蔡さんはよくその溝で遊んだり、落ちてはよじ登ったり、飛び越えたりしていました。

▲清朝時代で神農街の井戸の居場所
蔡さんによれば、西佛国の「国」には歴史的な意味が込められているとのことです。彫刻屋の店名に「国」という文字がついていたら、ほとんどが仏像彫刻の店です。そして店名に「軒」という文字があれば、それは福州派の店であり、人物や花のような彫刻技法は福州の人たちが持ち込んだものであり、伝統的な技法もまったく同じではありません。泉州派に関しては福州派よりもっと「自然」であるという点を強調しており、ほかの派のように姿と表情に華麗な、華やかで、賑やかなデザインとは異なっています。西佛国が目指しているのは、立ち姿も座る姿勢もきちんとした荘厳な仏像なのです。しかし、西佛國の技術は息子にしか伝承しないため、4代目の蔡天民さんはこの技術を息子の蔡友誠さんに伝承しました。蔡天民さんによると、昔、父の蔡南山さんは直接彫刻技術を彼に教えず、手伝いから始めました。穴を掘る時や角を削る必要があった時だけ、手伝いました。そのうち、門前の小僧習わぬ経を読むように慣れてきて、18、19歳になった時には自分一人でも仏像を彫刻できるようにったとのことです。このような技術の伝え方が今の西佛國の仏像彫刻の芸術を作っていると言っても過言ではありません。

▲台南の至る所でも蔡家が作った仏像が見られる
蔡天民さんに個展を開いたことがあるかどうかをお聞きしたところ、「お客様から注文された仏像を彫刻するだけで精一杯で、個展する時間などないよ」との返事でした。確かに、西佛国の仏像は台湾各地からの注文が多く、どこでも蔡天民さんの作品が見られます。大型の仏像は泥彫刻で作る必要があり、一番大きいのは家屋一階ぐらいの高さがあります。木彫りの仏像や泥彫刻の仏像などが必要なお寺は、わざわざ神農街の西佛国、蔡天民さんの所を訪ねてきます。泥彫刻は一般的に屋外に置く大型の仏像なので、蔡天民さんは現地で約一ヶ月住んで仏像を完成させます。仕事が一段落すると家に戻って一休みしてからまた仕事場に行くといった繰り返しです。西佛國の作品は台南だけでも数え切れないくらいあり、例えば、保安宮の白蓮聖母、五府千歲、府城隍廟鎮殿の府城隍と24司左右の文武判官なども蔡さん親子の作品ですし、その他にも大天后宮の鎮南媽、水仙宮の水仙尊王、崇福宮の二鎮玄天上帝、西羅殿の二鎮廣澤尊王、沙陶宮の二鎮、鄭氏家廟の木彫りの鄭成功、府城隍廟の泥彫刻の鎮殿、良皇宮の二鎮(武身保生大帝)など、数え切れないくらいあります。それに西佛国は神農街にあるため、近くの金華府の信者も当然のように廟の彫刻を西佛國に任せています。金華府の中には蔡心、蔡南山、蔡天民師匠たちの作品があり、信者たちは感謝を込めて蔡心さんに扁額を贈ったこともあります。

▲西佛國の代々受け継がれてきた彫刻技法
西佛國の工房には新しく作った仏像以外にも大小さまざまな仏像があり、中でも見た目が時代を感じたような仏像があります。これはお客さんから頼まれて、修復中の物であり、長年修理されずにひびが入った仏像や塗装が剝がれてた仏像など、小さな棚にはすでに修理を待つ仏像でいっぱいでした。工房には扁額が多く掛けてあり、それらはすべて信者や仏像を頼んだ人たちから蔡家への感謝のしるしで、中には当時台南市長だった賴清德から贈られた文化財登録証明書もありました。工房にある扁額や修復中の仏像を見れば、西佛国は仏像の芸術世界を作っているだけでなく、蔡天民父子は仏像に関する宗教と文化的使命を果たそうと、今日も黙々と神農街、の工房で頑張っています。


